アジアの街角

ツイッター「アジアの街角 BOT」に関する備忘録です。

Mayura Water Palace マユラ・ウォーター・パレス ②

Mayura Water Palace (トリップアドバイザー提供)

 

Webサイトでマユラ・ウォーター・パレスについて調べていたら、建築年が1744年と1844年のものが出てきました。

ほとんどが1744年だったので、1844年というのがただのタイプミスだろうとは思うのですが・・・。

 

正確なところを知りたくなって、いろいろ調べまくりました。

おかげでロンボクの歴史にちょっと詳しくなったかも?

 

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ロンボク島の歴史 参考サイト

 

<日本語>

ロンボク島へ行ってきました

日本語で書いてあるものでは、歴史について一番詳しく書いてあると思います。

 

<英語>

bali-lombok-trabel.com ★後半に和訳を掲載。

英語ですが丁寧にわかりやすく記述されており、こちらのサイトを信用しようと思いました。

観光地についての説明は少ないですが、インドネシアの情報などが詳しく書かれています。

 

BALI AND LOMBOK

1877年建築、となっていたのはこのサイト(笑)

おかげでロンボクの歴史を調べまくることに・・・(^_^;)

 

Lombok RIRIC Tours & Travel

場所の説明は少ないのですが、とてもおもしろそうなツアーをやっています。

そういえば、私はナルマダも行ってきたんだっけ。

 

www.indonesia-lombok.de (マユラ寺院のサイトにとびます)

サイト名がこれでいいのか、ちょっと不安なんですが…(笑)

ロンボクのツアーオフィスですが、観光地や文化についてなど、丁寧に書かれています。

こちらのサイトによれば「マユラ」というのは、サンスクリット語クジャクのことだそうです。

Official Trailer Visit Lombok-Sumbawa 2012という美しい動画も見れます。

 

Wikipedia List of monarchs of Bali

ウィキペディアのバリの王様のリストです。

ロンボクを支配していたのはこの中のカランガセム王です。

 

Wikipedia Lombok History ★後半に和訳(一部)を掲載。

ウィキペディアのロンボク、英語版です。

日本語版は「たったこれだけ?」って感じの内容でした…(T_T)

 

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ロンボクの歴史について、詳しく読んでみたサイトの和訳を掲載します。

内容がわかればいいや、という感じの和訳ではありますが、お役に立てれば幸いです。

つたない和訳ですので、間違い等がありましたらご了承ください。

もし気づいたことなどがありましたら、ご指摘いただけるとありがたいです。

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Mayura Water Palace (トリップアドバイザー提供) 

 

★Mayura Water Palace <bali-lombok-trabel.com >

マユラ・ウォーター・パレスはロンボク島Selaparang通りの近くに建っている、というより浮かんでいるというべきでしょう。

この水の宮殿のオープンホールは、手入れの行き届いたマンゴスチンの木の庭園に囲まれた美しい人工湖にあります。宮殿は空想上の動物の彫刻で飾られた低い石垣に囲まれています。

1744年、バリのAA・マデ・ヌグラ・カランガセム王によって建築されたマユラ・ウォーター・パレスは、バリのバレ・クンバン(Bale Kembang:水上宮殿)建築の一例です。

宮殿は人工湖に浮かび、岸辺とは敷石の道で結ばれています。

宮殿の一部はバリの王子が裁判所や会議場として使っていました。
バリの王子が島を支配していた時期には、マユラはロンボク島の政治の中心地でした。

1894年、バリ人とオランダがロンボク島制圧のために戦ったとき、宮殿ではいくつもの激しい戦闘がありました。いくつかの古いオランダの大砲がまだ残っています。

今日、宮殿は再び王子がいたころの、静かな隠れ家のような日々を取り戻しています。時折宮殿の敷地内で闘鶏が催されることもあります。宮殿とその敷地のガイドツアーは、わずかな料金で手配可能です。

また、宮殿の向かい側にはマユラ寺院があります。これはバリの王族によって構築したロンボク島で最大のバリ寺院です。この寺院は1720年に建てられ、現在でも、ヒンズー教徒によって、満月の日や特別な時期には祭りが催されます。

 

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Pura Meru(トリップアドバイザー提供)

 

Wikipedia  Lombok  History <Wikipedia 訳は一部分です。

17世紀以前のロンボク島については、わずかなことしか知られていません。
この時期以前は、ササックの王子が統轄する少数の部族が争いを繰り返していました。

17世紀初頭、隣国のバリがこの混乱に乗じて、西部ロンボクを制圧しました。
その間に、隣国スンバワ島に住むマカッサル人が東部ロンボクに侵攻しました。

1674年、オランダ人が初めてロンボク島を訪れ、オランダ東インド会社が、ロンボクのササックの姫と初の条約を締結しました。

1750年にはバリ人が全島を支配しました。しかし、バリ人の内紛が原因で島は4つに分割され支配されることなりました。

1838年、マタラム王国がこれらの対抗勢力を制圧しました。